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発達障害、食べ物の好き嫌いが激しい。カサンドラを加速させる食卓。

大人の発達障害の支援やパートナーとしての生活の中で、「食事」に関する悩みを抱える人は少なくない。表面的には「好き嫌いが多い」「わがまま」と見られがちだが、実際にはもっと根深い問題が隠れている。

家庭の中でこの問題が顕在化しやすいのは、食事が「日常の会話と関係の中心」にあるからである。共に暮らしている配偶者の中には、毎日の食卓を前にして、感じてはいけないと思いつつも、「また嫌な顔をされるかもしれない」「何を作っても受け入れてもらえない」という恐れを抱いている人が多い。

ある女性は、発達障害の診断を受けた夫との暮らしの中でこう語った。
「食卓がいちばん憂うつです。外食に行っても旅行に行っても、夫が食べるのは限られた料理だけ。どれだけ周囲が楽しもうとしても、彼の不機嫌そうな表情で空気が一気に冷めてしまいます」

これは決して珍しいケースではない。発達障害の特性として、特定の食感や味、匂いに対して非常に敏感な人が多い。いわゆる感覚過敏と呼ばれる状態で、これは単なる「好き嫌い」ではなく「身体的な拒絶」に近い反応だ。

例えば、焼き魚の香ばしい匂いが、本人には刺激臭として感じられることがある。
あるいは、食材の触感が「ヌルヌルしている」「歯に当たって不快」という理由だけで、どうしても口にできない場合もある。本人にとっては苦痛であり、無理に食べると吐き気を催すほど強い反応が起こることもある。

問題は、支える側がこうした事情を理解しづらいことにある。一般的な感覚から見れば「少し過剰反応」と映りやすく、「努力すれば食べられるようになるのでは」と受け止めてしまう。しかし、この「理解のずれ」が少しずつ家庭内に緊張を生み、やがて関係そのものを疲弊させる。

支援者や家族の中には、「我慢して食べてもらう」ことを目的にしてしまう人もいる。だが、それによって本人の不快感は増し、結果として拒絶が一層強くなることが多い。
それでも、努力を続ける側から見れば、「自分の作ったものを否定された」「一緒に食事を楽しめない」ことが心の痛みに変わっていく。

気がつけば、食事が「愛情や共有の象徴」ではなく、「衝突や諦めの象徴」になってしまうのだ。

特に配偶者の立場にある人の中には、発達障害の特性を理解しようと常に努力を重ねるあまり、自分の感情を押し殺してしまうケースが多い。
「彼にも悪気はない」「感覚過敏だから仕方がない」と理解を重ねても、実際の生活の中では疲労と虚しさが募っていく。これはまさに「カサンドラ症候群」と呼ばれる状態に近い。

カサンドラ症候群とは、発達障害の当事者を支える人が、理解されない孤独や共感の欠如から心身に不調をきたしてしまう状態を指す。
日々相手を思いやるあまり、自分の感情を抑え込んでしまう。ずっと我慢を続けているうちに、相手に対する苛立ち、罪悪感、そして愛情の喪失にまでつながる例がある。

そのきっかけが「食事」であることも少なくない。
特定の味やにおいに対する拒否、同じメニューしか受けつけない習慣、食事中の表情や言動で傷つく日々。それが積み重なるうちに、支える側の心は次第に疲弊していく。

食事というのは、単なる栄養補給ではなく、コミュニケーションの時間であり、家族のつながりを感じる瞬間だ。それだけに、その場が毎日ストレス源になると、関係全体が大きく揺らいでしまう。
「今日は何を作ろう」と考えること自体が、プレッシャーになる。そして、料理を並べた瞬間、表情一つで気分が沈む。自分がどれほど努力しても報われないと感じる。それがカサンドラ状態の典型的な始まりでもある。

では、なぜ発達障害の人には「好き嫌いが多い」傾向があるのか。
その理由の一つに、感覚過敏だけでなく「予測できないことへの不安」があるとされている。
食事は五感を総動員する行為で、味、におい、触感、温度、見た目など、刺激が多い。発達障害の人にとって、未知の刺激はストレス源になりやすく、新しい料理や初めての味に対する抵抗感が強くなることがある。

さらに、「決まったパターンに安心を感じる」という傾向もある。
自分が一度「これなら大丈夫」と経験した食べ物は、再び安心感を与えるが、未知の食品や異なる調理法には強い緊張を伴う。そのため、常に同じメニューや同じメーカーの製品を選ぶという行動が見られる。これは本人にとっての「安全確保の手段」だ。

このように、その「好き嫌い」の裏には本人なりの合理的な理由がある。
しかし、支える側から見れば、「バリエーションを受けつけない」「栄養が偏る」「一緒に食事を楽しめない」といった現実的な問題が重くのしかかる。理解していても、感情が追いつかない。その状況こそ、カサンドラ症候群を引き起こす温床となる。

発達障害者の偏食に直面したとき、支援者や家族ができる最初のステップは、「それを変えようとしすぎないこと」である。
本人の食の領域を尊重し、まずは「食べられる範囲」を確認する。
そして「食べられない理由」を本人の言葉で聞き取ることが大切だ。感覚的な不快感は、言葉にしづらい場合もあるが、具体的な部分を共有できれば、対応の糸口が見えてくることもある。

さらに、料理を作る側が自分のストレスをため込まないことも重要だ。
完璧に対応しようとすると、必ず限界がくる。必要であれば食事を別々にしたり、調理の負担を軽くしたりしてもよい。支援の基本は「相互の安定」である。

食事という場は、ほんの小さな不一致が積み重なって関係全体を揺るがすことがある。
一方で、その小さなきっかけを理解の出発点にもできる。

以下は、前編の続編として執筆した「発達障害、食べ物の好き嫌いが多い(後編)」です。
前編と同じく、第三者目線で、読者が客観的かつ共感的に理解できる語り口でまとめています。


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発達障害のある人に多く見られる「食の偏り」や「好き嫌いの多さ」は、単なる好みの問題ではない。背景には、感覚の特性や心理的な要因が複雑に絡み合っている。
一見すると「わがまま」や「頑固」に見える行動の背後には、本人なりの「安心」と「安全」を守るための行動が隠れている。

発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の人たちは、五感が非常に敏感であるケースが多い。
食感、におい、温度、味の濃さ、見た目など、通常では気にならないような要素が、本人にとっては強いストレス刺激となる。たとえば、揚げ物の脂のにおい、野菜のえぐみ、混ざり合ったソースの香りなどが耐え難い不快感として伝わることがある。

また、味覚や嗅覚の過敏さだけでなく、「特定の順番や形」が変わることへの不安も偏食の原因になりやすい。
決まったメーカーの食品しか食べない、見た目が前回と違うと口をつけないなど、一見神経質なこだわりも、「変化への恐怖」や「予測できないことへの抵抗感」に根ざしていることが多い。

このため、偏食への対応において重要なのは、本人の行動を「治す」ことを目的にしない姿勢である。
まずは、「何が嫌なのか」「どの部分がどう不快なのか」を丁寧に聞き取ることが第一歩になる。
食材の問題なのか、調理方法なのか、においの強さなのか、感覚的に嫌なのか――。原因を分けて考えることで、支援の方向性が見えてくる。

実際に支援現場でも、「食べられる食材の範囲を広げる」よりも「安心して食べられる環境を整える」ことに焦点を当てるアプローチが重視されている。
苦手なにおいを避けるために調理法を変える、食材を混ぜずに分けて盛りつける、温度のばらつきを減らすなどの工夫が、ストレスの軽減につながる。

一方で、同居している家族やサポートしている配偶者が消耗してしまうことも少なくない。
毎日の献立を相手に合わせ続けることは、心身に大きな負担をもたらす。どれほど配慮しても不満を示されれば、「努力が報われない」という無力感が積み重なっていく。これがカサンドラ症候群へとつながる心理的消耗の典型である。

支える側がまず意識すべきは、自分自身の心を守ることだ。
相手の行動を「理解する」ことと「許容し続ける」ことは、同じではない。
完全に合わせ続ければ、やがて支援する側が崩れてしまう。大切なのは、バランスを取ることだ。
食事を完全に共にすることにこだわらず、別々のメニューやタイミングで摂る工夫をする。調理や献立を一人で抱え込まないよう、家族やサービスの助けを借りる。これらは「逃げ」ではなく、健全な支援の方法である。

専門家の間でも、偏食への対応は「無理をしない共存」を基本としている。
無理に食べさせようとすると、本人のストレスが高まり、結果として拒否反応がさらに強まることが知られている。
それよりも、「自分がコントロールできる範囲」を尊重するほうが、長期的には安心感と信頼関係の構築につながる。

たとえば、以下のような実践例がある。

・苦手な食材は、無理に混ぜず、皿を分けて盛りつける。
・食事の温度、調味料の濃さ、食感の違いを事前に伝える。
・本人が選べる選択肢をいくつか用意する。
・得意な味を軸に、似た味や形から少しずつ広げる。
・「食べられた量」ではなく、「挑戦できたこと」を評価する。

こうした小さな調整が、家庭内の緊張を和らげる助けになる。

また、支援者自身が「苦手意識を抱く自分」を責めないことも大切だ。
発達障害の特性を理解しつつも、感情として「つらい」「悲しい」「怒りを覚える」といった反応が出るのは自然なことだ。
それを我慢し続けると、心が閉じてしまう。支援の継続には、感情を吐き出す場所が欠かせない。
カウンセリング、支援者同士のコミュニティ、SNS上の経験共有など、安心して話せる場を持つことが、長期的な支援の安定につながる。

カサンドラ症候群の人たちは、「理解してもらえない孤独」に苦しむ。
相手の特性を理解しようと努力し続けるほどに、自分の存在が薄れていく。
そのため、関係を立て直す第一歩として、「自分の生活を取り戻す」ことが推奨される。
食事の時間をずらしたり、自分の好きなものを別で食べたりすることは、罪悪感を覚える行為ではない。むしろ、自分を守るために必要な距離の取り方である。

発達障害のある人の偏食は、改善よりも「共存」を目指す方が現実的だといわれている。
支援する側が相手に変化を求めるよりも、日常の過ごし方を双方にとって楽にできる形へと変えていくことで、関係は少しずつ穏やかになっていく。

現代では、自治体や支援センターなどで、感覚過敏や食のこだわりに関する相談窓口も増えている。
また、管理栄養士や作業療法士が関わることで、本人の感覚や嗜好に合わせた食支援を行うケースもある。専門家と連携することで、支援者が一人で抱え込まずに済むようになる。

最後に重要なのは、「食事=愛情表現」という固定観念を手放すことだ。
食卓を共有しなくても、愛情や関係性を保つことはできる。食べものをめぐる不一致を、関係の断絶と捉える必要はない。どんな家庭にも、その人たちなりの「穏やかな形」がある。

発達障害と向き合う食生活の中で大切なのは、相手を変えようとすることではなく、互いの安定を守る仕組みをつくることだ。
そして、支援する人がその過程で孤立しないよう、気持ちを外に出し、支援を「受ける側」になる勇気を持つことでもある。

偏食に悩む家庭の多くは、「どうにか理解しよう」と必死に向き合っている。
だが、真の理解とは、相手をすべて受け入れることではない。
相手の特性も、自分の限界も、現実として認めながら共に生きる。
その小さな折り合いこそが、発達障害と共に暮らす日々を穏やかに支える最も確かな力である。

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