
穏やかだった彼との日々から一転して
結婚前の彼は、控えめで優しく、落ち着いていて、誠実な人柄に見えた。
一緒に過ごしていて安心感があり、衝突することも少なかった。
不器用なところはあったけれど、それもまた魅力の一つ。
「真面目で頑張り屋さんなんだな」と思っていた。
しかし、結婚して数か月が経つと、何かが少しずつ変わり始めた。
家事の分担を話し合おうとしても、どこか噛み合わない。
お願いしたことを何度も忘れたり、こちらが怒っても無関心だったり。
感情を共有しようとしても反応がない。まるで関心のスイッチが切れているように見えた。
「前はあんなに優しかったのに、なんでこんなに変わったの?」
戸惑う気持ちは、やがて不安に変わり、次第に「私が悪いのだろうか」と自分を責めるようになっていった。
そうしているうちに、心も体も限界を迎え、ついに医療機関を訪れることになった。
診断は「うつ状態」。
そして、私が自分の状態に名前を与えることになったのが、「カサンドラ症候群」だった。
夫の「豹変」に見えた瞬間
ある日、何気ない会話の中で、夫が感情のこもらない声でこう言った。
「そんなこと言われても、どう思えばいいのか分からない。」
その一言は、私にとって衝撃だった。
結婚前はあんなに穏やかで、思いやりのある人だった。
でも今の彼は、まるで別人のよう。冷たく、無感情に見える。
話が通じない、心がつながらない。どうしてこんなにも変わってしまったのか。
夫はもともと、物事を合理的にとらえる傾向が強かった。
感情の機微を察したり、空気を読むのが苦手ということに、私は当時まったく気づいていなかった。
それが、結婚後の生活という「密な関係」の中で、次第に顕著に表れてきたのだ。
結婚前に発達障害に気づけなかった理由
「なぜ私は、結婚前にその特性に気づけなかったんだろう?」
この問いは、カサンドラ症候群の人が必ず一度は抱えるものだ。
けれど答えは意外とシンプルだ。
発達障害は、外見や第一印象からでは判断できない「目に見えない特性」だからだ。
発達障害の傾向を持つ人は、それぞれの場面で「社会に合わせる努力」をして生きてきた。
恋愛中は特に、“相手に好かれたい”“嫌われたくない”という気持ちが働き、
自分が苦手なことを一時的に隠す傾向がある。
また、対人関係に慣れるまでは、相手のパターンを観察して行動を調整できるため、短期間では違和感を感じにくい。
愛情があったからこそ、「ちょっと変わってるけど、優しい人」として受け止められた。
それが、共に生活するようになって初めて“継続するズレ”として目に見えるようになった。
まさに、「日常を共有して初めて現れる特性」だったのだ。
結婚生活がもたらす「素の自分」
恋愛中の関係と結婚生活の大きな違いは、「距離の近さと持続時間」だ。
誰でも、恋愛中は相手によく思われたい気持ちから、自分をコントロールしようとする。
しかし、結婚して毎日顔を合わせるようになると、
その努力を続けることが難しくなり、徐々に“素の自分”が表に出てくる。
発達障害のある人にとって、社会的な仮面をつけ続けるのは大変な負担だ。
職場や外の世界では「普通の人」として振る舞う努力をしている分、
家では安心と同時に、疲れやストレスを一気に放出してしまうことがある。
その結果、パートナーには「結婚してから豹変した」と映る。
けれど実際は、外で限界まで頑張っていた人が、家庭で“力尽きている”状態なのかもしれない。
これは発達障害に限らず、多くのカサンドラ当事者が直面するすれ違いでもある。
「優しさ」は本物だったのか?
私にとって一番つらかったのは、「あの頃の彼は本心だったのか」という疑問だ。
結婚前に見せてくれた優しさや誠実さは、全部“演技”だったのだろうか。
当時の医師は言った。
「演技というより、“頑張って社会的にふるまっていた”んですよ。」
つまり、恋愛中の彼の誠実さは嘘ではなかった。
彼なりにベストを尽くして、社会的に正しい関係を築こうとしていた。
ただ、いつの間にかその努力が限界を越えたのだ。
その限界が、私にとって“豹変”と感じられる瞬間として現れた。
この視点を知って、私は少しだけ楽になった。
あのころの彼は「嘘をついていた」のではなく、「できる限り頑張ってくれていた」のだと。
気づけなかった自分を責めないで
今でも心のどこかで、「あのとき気づけていれば」と思うことがある。
でも、その「気づけなかった」という事実は、誰のせいでもない。
発達障害は、医学的な診断でさえ慎重に見極めが必要な特性だ。
それを一人の恋人が判断できるはずがない。
見抜けなかったのは無関心ではなく、それだけ愛情があったという証拠だ。
心理的な距離が縮まるほど、相手を「自分に似た存在」と感じてしまうのも自然なこと。
だから、結婚を決めた当時の自分を責める必要はない。
むしろ、愛があったにもかかわらず心が疲れてしまった“今”の自分を、いたわる時期なのだ。
結婚するまで見えなかった「違い」
今振り返ると、結婚前の私たちは「違いが目立たない関係」だった。
会話もシンプルで、価値観が違ってもすり合わせができるように見えた。
それは、夫が言葉より行動で誠実さを示すタイプだったことも関係している。
しかし、実際には会話の奥にある“感情の共有”は生まれていなかった。
一緒に暮らすようになって、初めて孤独を感じるようになったのはそのせいだ。
感情を分かち合うという“人と人とのつながり”が、思ったほど成立していなかった。
そこに気づいたとき、私は“結婚の意味”をあらためて考えさせられた。
結婚してから「変わったように見える」本当の理由
結婚してからの夫は、まるで無感情で、言葉が届かない人のように感じることがあった。
恋人の頃は、笑い合う時間も多かったのに、今は沈黙ばかり。
その変化を「豹変」と感じていたが、専門家の話を聞くうちに、そこには少し違う背景があることを知った。
発達障害の特性を持つ人は、恋愛初期や社会生活では周囲に合わせる力を発揮する。
しかし、常に周囲の期待に合わせることは強い負担を伴う。
結婚という「常に一緒にいる関係」は、緊張の糸が切れる場所にもなりやすい。
いわば、夫にとっては「やっと安心できる場所」でもあり、「気を使わなくなった場所」でもある。
社会で頑張りすぎていた分、その反動が家庭内で出ることもある。
これが、外から見ると「人が変わった」と思えるほどの違いにつながるのだ。
「豹変」の影にある“安心と限界”
夫が変わったように見えた時期を思い返すと、ちょうど仕事が忙しくなっていた。
会社でのストレス、生活の変化、責任の増加。
それらが重なり、彼の中で「社会的な自分を維持する力」が限界に近づいていたのだと思う。
発達障害の当事者は、心の中で整理しきれない情報や刺激に常にさらされている。
小さな変化や予想外の出来事にも敏感で、その都度エネルギーを消耗する。
結婚生活という「予期できない毎日」は、安心を与える一方で、多くの新しい負担も伴う。
そして、限界を越えると「言葉を閉ざす」「反応しない」「感情が薄く見える」など、
一見冷たいように感じられる行動につながってしまう。
だからこそ、豹変の裏には「疲れきった心の防衛反応」が隠れているのだ。
感情が伝わらない理由
私が何よりつらかったのは、夫に気持ちを伝えても共感の言葉が返ってこないことだった。
「ありがとう」「ごめんね」「あなたの気持ちは分かる」
そんな言葉を待つあいだに、沈黙だけが流れる。
発達障害の特性には「心の理論(相手の感情を推測する力)」のつかみにくさがある。
つまり、相手の感情を言葉や表情から想像するのが難しいのだ。
それは、愛情がないのではなく“感じ方の仕組みが違う”だけ。
けれど、その違いに気づかないまま長い時間が過ぎると、支える側が孤独に追い込まれていく。
「どうして分かってくれないの?」という悲しみが続くと、自分の存在を疑い始めてしまう。
これがカサンドラ症候群の入り口だった。
カサンドラ症候群に陥る心理構造
カサンドラ症候群の一番の特徴は、「理解してもらえない孤独」だ。
努力しても、会話しても、相手からの反応が得られない。
やがて、愛情を注げば注ぐほど虚しさが積み重なっていく。
そんな生活が続くと、次第に自分の感情を抑え込むようになる。
「私さえ我慢すれば」「説明が足りないのかもしれない」と自分を責め続ける。
その自責と孤独が重なった瞬間、心身のバランスが崩れていく。
私もその渦の中にいた。
相手を変えるために話し合いをしても、温度差は埋まらない。
どうしてこんなにも努力しているのに報われないのだろう。
そんな日々が続いたとき、私はようやく「自分の心を守らなければ」と気づいた。
気づくことが「回復の第一歩」
結婚後の豹変は、夫だけでなく、私自身の心の状態を映す鏡でもあった。
「彼が変わってしまった」と思っていたけれど、もしかすると“私の感じ方”にも変化があったのかもしれない。
支えることに全力を注ぎすぎると、相手の変化に敏感になりすぎる。
そして、少しの反応の違いさえ「愛情がなくなった」と思い込んでしまう瞬間がある。
それほどまでに、カサンドラの心は擦り切れるのだ。
回復の第一歩は、「もう頑張らなくていい」と自分に許可を出すこと。
夫の行動を無理に理解しようとせず、自分の感情を大切にすることだった。
理解できないものを無理に理解しようとすると、更に苦しくなる。
距離をとる勇気は、決して冷たい選択ではない。
「気づけなかった」ではなく「見抜けなかったのは当然」
当初、私は結婚前に発達障害に気づけなかったことをずっと後悔していた。
でも、医師の言葉に救われた。
「発達障害は、恋愛段階ではほとんど見抜けません。プロの医師でも丁寧な面談が必要です。」
恋愛の場では、彼らも「社会的な仮面」をつけて頑張っている。
表情やトーン、会話の間など、一般的な“恋人らしさ”を演じようとする。
そこに違和感を覚えても、愛情で包み込んでしまうのが人間だ。
だから、“気づけなかった”のではなく、“見抜く必要がなかった”。
当時の私は、彼を信じ、愛していただけ。
それは失敗ではなく、誰にでも起こり得ることなのだ。
「わかりあえない」を前提にした関係の見直し
回復の過程で学んだのは、「完全に分かり合うことを目指さない」ということだった。
発達障害のあるパートナーとの関係では、理解不能な場面が少なからずある。
それを否定するのではなく、「この人はこう感じるのだ」と認めていく。
感情の共有が難しければ、言葉や行動で構造化する。
具体的なルールを作る、何をどうしてほしいかを文章で伝える。
シンプルで可視化された関係が、発達障害当事者にとっての安心になる。
一方、支える側に必要なのは、カウンセリングや支援制度など外の力を借りることだ。
ひとりで抱え込めば、再び心が壊れてしまう。
「助けを求める」という行動こそが、カサンドラからの回復の鍵になる。
「豹変」の意味が変わった日
夫の豹変を受け入れるまでには、長い時間がかかった。
しかし今では、その変化を少し違う角度から見ている。
あの豹変は、彼が「社会の中で無理をしていた証拠」だったのだと思う。
不器用ながらも、私との生活の中で“自分を出せるようになった”結果でもあった。
もちろん、それによって私が傷ついた事実は変わらない。
けれど、怒りだけだった気持ちが、今は「お互いに限界だった」という理解に変わった。
そう思えるようになって、ようやく私は「過去の自分」を責めなくなったのだ。
終わりに
結婚前と結婚後で「まるで別人のようになった」と感じるのは、珍しいことではない。
それは、発達障害のある人にとって日常を保つ努力が、限界に達したサインでもあり、
同時に“本来の自分”を見せ始めた証でもある。
気づけなかったことを悔やむよりも、これからどう関わるかを考えることが大切だ。
関係を続けるか、距離をとるか。その選択に正解はない。
ただ一つ言えるのは、あなたの感じた疲れや孤独は確かに「現実の痛み」であり、それを無視してはいけないということ。
相手を理解しようとする優しさの中で、どうか自分を見失わないでほしい。
豹変の裏には、あなたの心の消耗と、相手の限界の両方が隠れている。
それを知ることが、カサンドラ症候群から抜け出す最初の一歩になる。


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