
「夫の変化に最初に気づいたのは、昇格試験に落ちた6回目の頃でした」
そう静かに話し始めたのは、Kさん(30代後半・仮名)。小学生の子どもを育てながら、週2日のパート勤務を続ける女性です。
Kさんの夫はADHD(注意欠如・多動症)の特性を持つエンジニアでした。外資系企業に勤め、年収はボーナス込みで800〜1000万円。数字だけ見れば、同世代の中でもかなりの高収入です。
一見、順調なキャリア。家族の暮らしも安定して見えました。
けれども、その「順調」は、ある日を境に、音を立てて崩れていきました。
昇格試験8回不合格の末に
「夫は仕事ができる人、というイメージをずっと持っていたんです。」
取材の中でKさんは、何度もそう繰り返しました。
彼はエンジニアとして成果を出してきました。発想が柔軟で、周りが驚くようなアイディアを形にしてきたタイプ。ADHD特有の“超集中モード”に入るときには、文字通り寝食を忘れてコードを書き続けたといいます。
しかしその特性は、“安定的な評価”という枠組みの中では扱いが難しいものでした。
会社の評価制度では「チームとの協調性」や「計画性」「期日管理能力」も重視されます。昇格試験は8回受験したものの、毎回のように面接で「協調性に課題がある」と指摘されて合格には至りませんでした。
「夫は落ち込むというより、『どうせ俺を評価できない会社が悪い』と怒っていました。」
Kさんは当時を思い返し、少し苦笑します。
そうした姿勢が上層部の目にとまり、結果的に彼は別の部署への異動を命じられました。
「デスクに座るだけの仕事」が、地獄だった
異動先は、社内の管理系の部署。人と密に連携しながら、正確さや事務処理能力が求められる仕事でした。
「夫には、とにかく向いてなかったんです。」とKさん。
もともと、彼の得意は“動きながら考える”“自由に発想する”。反対に、“書類を整理して期日通りに報告を上げる”といった事務型の仕事はほぼ壊滅的に苦手でした。
始まって3ヶ月たつ頃には、「もう無理」と口にする日が増え、ついに医師の診断で「適応障害」と診断。そこからはほとんど自宅で過ごすようになりました。
「朝、夫が出勤しない日が続くと、最初は“休みを取れるようになって良かったね”なんて言ってたんです。でもだんだん、家計のことを考えると胸が苦しくて……」
Kさんの声が少し震えました。
夫の休職、頼みの綱の傷病手当
休職が決まってからの数ヶ月、夫は健康保険組合からの傷病手当金で生活を続けていました。とはいえ、それも永遠に続くものではありません。やがて「復職するか、転職するか」を迫られる時期が訪れます。
「結局、元の部署には戻れないって会社から言われたみたいで。本人は復帰する気力もなく、話し合いの末に退職を選びました。」
そうして10年程勤めた会社を去ることになります。
転職先は、資格だけが頼り
夫には電気工事士の資格がありました。
「現場系なら、少しでも再就職の道があるかも」——そんなKさんの淡い希望のもと、設備関連の会社へ転職を決めます。
しかし、それは“資格があるだけ”の未経験スタート。年収は300万円ほど下がり、手取りで考えれば、生活は半分以下になりました。
「それでも働けるだけありがたい」と、Kさんは当初そう自分に言い聞かせていたといいます。
けれども現実は、待ってくれませんでした。
「生活レベルを落とす」という決断が、できなかった
新しい収入に合わせて生活を見直すべきなのは、誰が見ても明らかでした。
しかし、すぐには対応できなかった理由がありました。
「家を購入したとき、夫の年収を基準にローンを組んでいたんです。月々の返済が10万円。子どもの習い事も3つあって、最初からカツカツ。それを変えるという発想自体、すぐには持てなくて。」
健康に不安を抱えるKさんにできるのは、週数日のパートだけ。収入はごくわずかで、家計の支えには到底なりません。
夫一馬力でやってきた生活が、急に崩れる——ただ現実を受け止めるだけで精一杯でした。
「夫が発達障害だから仕事に波があることは理解していました。でも、苦手な部署に異動した途端にこんなに崩れるなんて、正直ショックでした。」
静かに絞るような声で、Kさんは語ります。
家計の崩壊と、言葉にできない苛立ち
生活の軸が崩れたあとに残ったのは、責められない相手への怒りでした。
本当は「どうしてもっと頑張れなかったの」と言いたい。
でも、自分が病弱で、彼に養われていたという負い目もある。
「夫を責めることはできない。でも現実的には、夫の得手不得手が、家族全体の生活に直結してしまう。そう思うと怖いし、情けないし、何より悲しい。」
今は義実家からの経済的支援を受けて、どうにか生活を続けています。けれども限界は見えています。
「いずれ家を手放すか、生活レベルを大きく落とすか。頭の中では分かっているけど、まだ何も決断できていません。」
発達障害の特性が「仕事の適不適」として出たとき、それが家族全体の危機へとつながる現実。
それを目の前で実感してしまったKさんの言葉には、重く静かな現実がありました。
「夫が働けなくなったあの日から、私たち夫婦の関係も、静かに壊れ始めていたのかもしれません。」
Kさんはそう言ったあと、しばらく沈黙しました。
支えたい気持ちと、限界を感じる現実。その狭間で、彼女は毎日揺れていました。
「理解しよう」と思えば思うほど、苦しくなる
夫が休職した当初、Kさんは医師やカウンセラーにも相談しました。
「夫の特性を理解してあげてください」「環境のミスマッチが原因です」と何度もアドバイスを受けたといいます。
「分かっています。分かっているのに、心がついていかなくなるんです。」
そうKさんはポツリ。
Kさんはこれまで、夫の“得意な部分”にも多く助けられてきました。家電を自作したり、旅行の計画を緻密に立ててくれたり、集中しているときの夫はまるで別人のように頼もしかった。
けれど、その頼もしさが消えたあの日から、生活のバランスが壊れていきました。
「“配慮すべき特性”と分かっていながら、日常の行き違いが続くと、どうしてもイライラしてしまうんです。『なんでそんな簡単なことができないの』って、何度心の中で呟いたか分かりません。」
家の中に漂う“無音の緊張”
夫は転職後も、慣れない現場仕事に疲弊して帰宅する日々。
「何も話したくない」「放っておいてほしい」と言われることが増え、会話はどんどん減っていきました。
「家族なんだけど、同居人みたいになってしまって。」
そんなKさんに、見えないストレスが積み重なっていきます。
彼女自身、心療内科で“軽度のうつ状態”と診断を受けました。
それでも、家事や子育て、家計管理を投げ出すことはできません。
「誰も助けてくれない」「この家を支えられるのは自分しかいない」
そう思い詰める中で、Kさんは“支える人の孤独”を味わっていました。
カサンドラ症候群——理解の先にある絶望
Kさんのように、発達障害の特性をもつパートナーを支える中で、慢性的なストレスを抱える人たちは少なくありません。
医学的な診断名ではありませんが、「カサンドラ症候群」と呼ばれる状態があります。
“相手を理解しようとしても通じない”
“共感が返ってこない”
“言葉を交わしても、心の距離が縮まらない”
そうした状態が続くことで、支える側の心が疲弊し、抑うつや自己否定に陥ることを指します。
「私も、ここまで追い詰められて初めて“自分の心が壊れている”ことに気づきました。」
夫の発達障害を理解すること。それ自体は大切なステップです。
しかし、“理解”が“自己犠牲”と混同されると、支える人の側が静かに崩れていく。
Kさんは今、その線の上を慎重に歩いているようでした。
義実家の支援と、心の負い目
現在、Kさんたち一家は義実家から経済的な支援を受けています。生活費の一部や子どもの学費の援助など、実質的に“助けられている”状態です。
もちろんありがたいことですが、同時にKさんの中には複雑な思いが生まれていました。
「助けてもらっているから文句は言えない。でも、義両親からは『あなたももっと働けないの?』と遠回しに言われることもあって。」
病弱でフルタイム勤務ができない自分。
経済的には頼るしかない現状。
そして、その中で見えない“責任”を背負わされる構図。
「私は何のために頑張っているんだろう」と、ふとした瞬間に思考が止まることもあると言います。
「私だって普通の生活がしたかった」
しばらく話していたKさんは、最後にこう言いました。
「普通に働いて、普通に生活して、たまに旅行に行って。そういう当たり前の暮らしがしたかったんです。」
それは、特別な贅沢ではなく、誰もが願うささやかな幸せ。
それすらも、特性の“凸凹”によって脆く崩れる――
Kさんにとって、それが何よりの現実でした。
「夫を責める気持ちは、もうあまりありません。ただ、彼の特性と社会の仕組みが噛み合わなかっただけ。でも同時に、それに巻き込まれた家族の苦しさも、もっと理解されてほしいと思うんです。」
支える人こそ「支えられる場所」が必要
取材を終えて感じたのは、「支える人の支援の少なさ」でした。
発達障害者本人への支援制度やカウンセリングは増えていますが、その家族、とくに配偶者が孤立しやすいという現実は、今も続いています。
“パートナーの特性を理解してください”
その言葉の裏には、“あなたが我慢してください”という社会の無意識の圧力が潜んでいることもあります。
Kさんが話してくれたのは、単なる一家庭の苦難ではなく、支える人が傷つく構造そのものでした。
Kさんが今、少しずつ取り戻しつつあるもの
最近、Kさんはカサンドラ症候群のサポートグループに通い始めました。
同じような悩みを抱える人の話を聞くことで、「自分だけじゃなかった」と感じられる時間を持てるようになったそうです。
「相手を変えるより、まず自分が壊れないことを優先する」。
そう思えるようになったのは、ほんのここ数ヶ月のこと。
「今も家計は苦しいし、将来もどうなるかは分かりません。でも、夫とは少なくとも“敵”ではいけないと思っています。お互いを理解できない時間があっても、“生活のチーム”として折り合いをつけられたらいいな、と。」
発達障害を持つパートナーとの生活は、理解と思いやりを超えた現実的な試練を伴います。
しかし同時に、支える人が自分自身を大切にできるような社会的なサポートの輪が広がっていけば、Kさんのような人々が少しずつでも心を取り戻せるはずです。
